ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

ワインと仏教

はじめまして。龍善寺 副住職の石井です。

時々、こちらへもとりとめもなく綴らせていただきます。

ちょっとした息抜きにご笑覧ください。

 

さて、私事で恐縮ですが、私は大のワイン党です。

結婚してから妻にワインを教わったのがきっかけで、

すでにワイン歴14年になります。

たぶん今までの購入費で車の一台は買えていたかも知れません(笑)

 

ワインは蒸留酒と違って、醸造酒なので、

一本一本、本当に個性があります。

原産地、品種、造り手、その年のぶどうの出来、

輸送方法、ショップの管理、口にするタイミングなどなど、

これらすべてが味に関わってきます。

以前に飲んで美味しかったワインをリピートして飲んだら、こんな味だったかな?

と思うことありますよね。

つまり、一つとして同じワインはないということです。

私はそんなワインに魅了されました。

 

ワインを人に例えてみると面白いものです。

例えばいいぶどうから造られた長期熟成のワインは、

昔やんちゃをしていて、歳を重ね丸みを帯びて、初めていい味わいになる。

あるいは、若い女優さんには演じられない、

円熟した女優さんならではの輝きを放つような。

一方で、ボジョレーのように、収穫の翌年に造られたワインは、

若い女性のように元気のいい、みずみずしさを感じることができます。

ワイン一本一本に、人間のような個性が宿っています。

 

 

私がワインと出逢ったことで気付いたことがあります。

これはあるフランスのワイン生産者が言っていました。

「世の中にまずいワインはない」と。

元のぶどうが良くても悪くても。ワインは個性があるから美味しいもの。

ただ、輸送中に熱を加えたり、管理が悪かったりするとまずくもなりますが、

どんなワインも個性的な香りと味わいを持っていると。

 

浄土真宗的に言いますと、ひとり一人は、

その人だけの経験、苦しい思いなどを持っており、

当然ですが自分の人生を誰かに変わってもらうことはできません。

私達は常に他人と比べては嫉妬し、喜怒哀楽しております。

常に他人の事が気になる訳です。

 

他人ばかりみている私達ですから自分自身は自分に都合の良い所しか見えていません。

仏教の経典は自分を見つめる鏡だとも言われています。

仏教は見たくない部分を照らしてくれます。

他人のことはよく見えますよね?ですから人のことを責めるのは、

簡単なことですが、自分自身をありのままに見えていないので

自分を責めることは難しいわけです。

私自身が、嘘・偽りだらけであることには、なかなか気づきません。

宗祖親鸞聖人は自身のことを「虚仮不実(こけふじつ)のわが身」

と言われています。

 

虚仮とは嘘偽りのことで、不実とは実が無いことです。

自分自身嘘偽りばかりで中身が無い私は愚かだということで、

愚禿(ぐとく)親鸞と名乗っていらっしゃいました。

私が正しいという観点を懺悔されているのですね。

自分の舌が正しいということは無く、趣向も違います。

また自分自身も変わり続けています。

世界は広く一人一人考えていること生き様も違い個性があります。

金子みすずさんの歌「私と小鳥と鈴と」にもある通り「みんなちがってみんないい」

という観点をフランスの生産者の方から学ばせていただきました。

 

ワインも人と同じく一本一本、生まれた国、育てられ方、運ばれ方など

それぞれ違う経験を辿って、世界に一本だけのワインとして

私たちに届けられます。

今宵も、私はコルクを空けながら、

育ての親である生産者に想いを馳せ、

大切に育てられたワインの個性をじっくりと堪能したいと思います。

 

合掌

 

3:副住職 石井祐司

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