ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

受け入れられない

早いもので2019年も折り返しの6月になりました。関東では梅雨入りも発表され、雨の日が多くなってまいりました。中々出掛けようという気持ちにもなりにくいとは思いますが、日頃より早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)にご参拝いただき、有難うございます。

 

 

 

私事になりますが、ここ最近自分の体の変化を感じます。以前は多少無理をしていても、寝ればすぐに疲れが取れ、風邪を引いても、治りが早かったのですが、最近は以前に比べ、疲れが取れにくくなり、体調を崩しやすくなったように感じます。
このような体の変化を、自分自身で感じておりますが、中々受け入れることが出来ません。それどころか、自分に都合の良かった、以前の体が本当の自分であると思い込み、都合の悪い今の自分を見ないようにしてしまっています。

 

 

 

仏教には「四門出遊」という言葉があります。約2500年前、お釈迦様は一国の王子として生まれ、何不自由ない暮らしをしておりました。王子であるお釈迦様の周りの人は、若く、健康な人ばかりでした。しかしある時、お城から外に続く東の門で老人、南の門で病人、西の門で死人を見て、そういった人たちの存在を初めて知り、更には、自分自身もいつかはそうなることを知りました。最後に北の門で、老病死の存在を知ってなお、堂々と生きる出家者に出会い、お釈迦様自身も出家されたというものです。

 

 

 

老いること、病になること、死ぬことは、私たち人間にとって避けようのない事実です。しかし現代においては、そうした自分にとって都合の悪い事実から目を背け、都合の良かった、過去の自分に執着することが、当たり前の感覚になっているように思います。私においても前述したように、老いてきた自分自身を全く受け入れられません。また亡き方をご縁として、葬儀や法要に出仕させていただいても、自分自身が亡くなるとは到底思えません。

 

 

 

しかし、老いること、病になること、死ぬことから逃げ、過去の自分に執着しても、ずっと若く健康で生きていけることは決してありません。いつかは必ず老い、病になり、死んでしまいます。それどころか、過去の自分に執着し、都合の悪いことから目を背けることによって、現実の自分と、理想とする過去の自分とのギャップに耐えられず、苦しむことになるのではないかと思います。

 

 

 

私自身も都合の悪い事実から目を背けるのではなく、事実を事実として受け入れ、「これが今の私です」と胸を張って生きていきたいと思います。老い、病になることで、今まで当たり前だったことが有り難く感じられることもあると思います。そして、いつ死ぬかわからないからこそ、今を大切に生きようと思えるのではないかと思います。手を合わせる中で、都合の悪いことを認められない自分を、日々教えていただきながら、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

 

 

 

まだ、梅雨の時期ですので、足元にお気をつけいただき、早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)へご参拝ください。

 

 

 

 

 

南無阿弥陀仏

副住職 大坂尚輝

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