ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

初詣

暖冬といわれた正月も過ぎ、例年通り厳しい寒さとなって参りました。
各所の大雪で大変な思いをされている地域もあります。早稲田納骨堂がある龍善寺は境内が広いので、雪が降ると雪掻きが大変なので私としては、降らないで欲しいのですが、、、

 

さて、皆様は初詣に行かれましたか?
初詣はその年の願いを神社、寺院にてお参りし、一年が良い年であるよう祈願をしています。おみくじを引いたり、絵馬を書いたり、破魔矢を求めたりします。
初詣に行きますと何かお願い事をしますね。受験合格や、商売繁盛、健康祈願と様々な事を神仏にお願いします。
でも少し考えてみて下さい。私達は自分のお願いを叶えてもらう為に、お賽銭を包み神仏にお願いするという事に疑いを持ちませんでしょうか。
本当に神仏は我々人間の欲望を叶える為にいるのでしょうか?そもそも神仏にお参りをしているのではなく、欲に手を合わせているのではないでしょうか?

 

当寺の宗派である浄土真宗の御本尊阿弥陀如来は、「我が名を称えれば一切衆生を救い取る」という本願を立て、成就されて仏となられています。南無阿弥陀仏と阿弥陀仏の名前を称え極楽浄土に生まれさせて頂く身になるという宗派です。
浄土真宗におけるお参りは、決して私利私欲を叶える為ではなく、煩悩まみれの私が、極楽浄土に生まれさせて頂けることに感謝するお参りになります。
宗祖親鸞聖人の一念多念文意には
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、…
とあります。
私達はお金を手に入れれば、更に多く欲しくなる満足しない欲深く愚かな人間です。
私は浄土真宗という仏教に出遭ってから、善人だと思っていた私が、実は欲深く、怒りや妬みが沸き起こる愚かな人間であると気付かされました。そんな善人になれないありのままの自分を阿弥陀如来は見放すことなく、どこまでも追い掛けて救い取って下さる。本当に有り難い仏様です。

 

「雪が降らないで欲しい」と自分の都合ばかり考えている私でも救って下さる阿弥陀如来に皆様も手を合わせ、本当の自分に出遭って頂きたいと切に願います。

 

南無阿弥陀仏

 

3:副住職 石井祐司

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