ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

出遇い

 

 夜散歩していると、夏も終盤に近づいてきたのかなと思わせる鈴虫の声がたまに聴こえてくる今日。

はや今年も三分の二が過ぎ去りました。

いろいろとものふける季節になってきたので少し振り返ってみようと思います。

 

 7月、8月はお盆ということもあり、早稲田納骨堂に多くの方がお参りに見えました。
多くの方とお話する機会があったのですが、身近な方が亡くなられたということに対して、様々な思いをもってこられているとヒシヒシと感じることができました。
お話させていただいた方の中に、「今になって、生き様を見ることができた。この人が伝えたかったことは、こういうことなのかな」と言われている方がいました。
私は、言葉にならない気持ちで溢れてしまいました。

 

 

 私事ですが、ほんの数ヶ月前に友人が亡くなりました。昨日まで元気に生きていた友人が事故で亡くなったのですが、全く信じることが出来なかった。

心から出るのは、「よく分からない」ただそれだけでした。

当たり前なこと。それは本当に当たり前なことなのか。いかに自分が「いのち」に対して分かった振りをしていたかを改めて考えさせられました。

 

 

 浄土真宗のお盆というのは、亡くなられた方を縁に無常を見つめて、仏法を見つめる日であります。お参りに来るということにより、故人様のことを思い出す人が多いのではないでしょうか。

その中で感じることが、故人様との『出遇い』であると思います。生き様を訪ねることにより、何かしらを感じることが出来ると思います。

 

それを是非大切にしていっていただきたいと思います。しかし、私たちは常日頃から忙しい日々を送っていますので、つい忘れてしまいがちですが、思い立った時には、また故人様との『出遇い』を求めていただいてみたらどうでしょうか。

 

 

 9月には秋のお彼岸もあります。是非様々なことに出遇いに、龍善寺にお参りに来る機会にしてはいかがでしょうか。

 

 

南無阿弥陀仏

6:副住職 井上朋裕

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