ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

自覚の今

初めまして。
先月からここ浄土真宗(真宗大谷派)龍善寺、魂の故郷早稲田墓陵 早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓で働かせていただくご縁をいただいた大野です。

私は浄土真宗の寺の生まれですが、以前は仏教にまったく興味を抱くことができない自分に腹が立っていたことがあり、私なりに浄土真宗に関する本を読んでみたり、お寺で毎月法話してくださる先生方のお話を聞いてみるものの、それでも仏教に興味を抱くことができずイライラしていた頃がありました。
ただ、ある法話の時、隣に座っていた檀家のおばあちゃんが、先生の法話を聞きながら涙ながらに「うんうん」と手を合わして頭を下げている姿をみて、私はとても驚いたのと同時に「羨ましいな」と感じたことを今でもよく覚えています。

最近手にした櫟 暁先生の『真宗の教えに生きた女性たち』という本の中に「今を生きる」という言葉に出遇いました。。
私たちが「今」という言葉を聞いて想像するのは、時計の針が差している時間を「今」だと想像します。
ところが仏教では「今現在」という独特な言葉で表現しています。
「今現在」というのは、時計の針が差している時間を「今」と、とらえている訳ではなく
『いつもここに命を頂いて目覚めて生かしていただいております』という「自覚の今」のことだと。
それをまた、別の言葉に言い換えて言うと『南無阿弥陀仏』なんだと書かれていました。
仏教の言う「今」とは自分を目覚ましてくださる仏さまが、いつも自分の前ではたらきかけて下さっている、それを『今』だとおっしゃっているわけです。

私が仏教に興味を抱くことが出来なかった頃、一緒に法話を隣で聞いていたあのおばあちゃんもきっと「今現在」の教えに出遇い、頷き、手を合わせていたはずであり、改めて聞くことの大切さに「今」気づかされたように思います。

ぜひ、「今現在」の教えに出遇うために、真宗大谷派龍善寺、魂の故郷早稲田墓陵 早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓にお越しください。お待ちしております。

南無阿弥陀仏

副住職 大野光

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