ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

終戦

今日も多くの方が、浄土真宗(真宗大谷派 本山・京都東本願寺)龍善寺、魂の故郷早稲田墓陵 早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓にお参りいただきまして誠に有難うございます。

今日が終戦をむかえて72年。
良くも悪くも、「戦争」を知らない私たち世代。
ただ、遠い過去の出来事として捉えてきた「戦争」が、必ずしも単なる過去の話とは言い切れない存在として、最近身近に感じています。

先日、第二次世界大戦に関する資料館を訪れ、「戦争」という事実の足跡を辿ってみましたが、今更ながら、知らないことがあまりにも多すぎたと改めて実感させられました。

 

皆さんはご存知でしょうか。

朝鮮出身であるにも関わらず、日本の特攻隊員として戦地へ飛び立つことを強いられた青年の存在を
現在の私たちでさえ聞き覚えのない北の孤島で、寒さや飢えに苦しみながら、何の支援もないままに戦いを余儀なくされた隊員の存在を
終戦の知らせを聞いたにも関わらず、それでも8月15日の夕方に、沖縄の空へ向けて飛び立って行かれた飛行部隊の存在を

想像を超える現実は、資料だけでは知りえないのかもしれません。

 

以前、浄土真宗にご縁のある先生が書かれた本の中で、
「世の中では戦争を勝った、負けたと表現することがありますが、本当の戦争は勝っても負けても、そこには大きな悲しみしか存在しないんです。」
という一文が書かれていました。
誰もが平和を望んでいるはずなのに、その平和の為に争いを起こしているのが、私たち人間の相(すがた)なのかもしれません。
また、人が人を傷つけ、人格を奪い、人を人ではなくしてしまうのも「戦争」ではないでしょうか。
私たち人間は本当に賢いのでしょうか。
私たち人間同士の争いに、本当の真実はあるのでしょうか。

 

戦争の経験がない私たちは、先達の経験・真実からしか学べないわけですが、現在、その経験・真実を踏みにじる方向に進もうとしているような気がしてならないのも事実です。
過去の真実が、現代の私たちへ改めて「本当にそれでいいのか?」と問いかけてくださっているのではないか。
実は、その過去からの大いなる問いかけに対し、真摯に受け止め、答えを出していくことが、私たち側の大いなる役目であるような気がしてなりません。

どうか、これからも真宗大谷派龍善寺、魂の故郷早稲田墓陵 早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓を訪ねていただいて、その答えをともに見つけ出す歩みをさせていただけたらと思っています。

 

南無阿弥陀仏

2:住職 小林太一

一覧ページに戻る