ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

日本人の宗教観

先日、読んでいた本の中で、日本と海外との宗教観の違いを

表すアンケートが書かれていました。

 

そのアンケートの内容は「私たちの人生で大切なのは何ですか?」というテーマです。

この質問に対して、多くの日本の方が『健康、家族、財産』と答えたそうですが、

同じ質問を他国の方へ投げかけたところ、地域にもよりますが、『信仰、宗教』という答えが

多く返ってきたそうです。日本で生活している私たちからすると少し意外な答えかもしれません。

 

もちろん、信仰が過熱していきますと他の信仰を認めず、排他的になり、

別の問題を生み出すことにもなりますが、少なからず日本に住んでいる

私たちの口から出てこない答えだと思います。

むしろ、日本では自分が大切だと思っている『健康、家族、財産』を守るために無病息災、

家内安全等と願い、あくまでも宗教を『手段』として利用していると言われても

仕方のない姿なのかもしれません。

 

実は仏さまの存在は私たちの欲望を満たすための存在ではありません。

「長生きしたい、病を治したい、商売繁盛したい、南無阿弥陀仏」と願っているのは

自分の欲望を願っているに過ぎません。

確かに私たちは大きな出来事の前では無力です。

与えられたいのちを、与えられた老いを、与えられた病をこの身に引き受けていくより他ありません。

それにも関わらず、その現実を引き受けず、あちらへ願ったり、こちらに願ったりをしてばかり。

その姿を仏教では『迷い』と言っています。

気休めになるかもしれませんが、何の解決にもならないはずです。

 

実は宗教の「宗」という字は中心や要(かなめ)という意味です。

私たちが大切だと思っている健康や家族や財産もいずれ、

どんな形にせよ、どのタイミングにしても私たちの手元からすべて離れていってしまう存在です。

 

その喪失を繰り返す私たちの人生で、一体何を中心として生きていくのか、

これからどう歩んでいくのかを私たちに問い続け、教えてくださるのが『宗教』ではないでしょうか。

彼岸等の行事であったり、故人の法要であったりと仏縁の中で今一度、

私たちの宗教観そのものと向き合い直してみてはいかがでしょうか。

合掌

 

永代供養墓・納骨堂担当住職 小林

 

 

2:住職 小林太一

一覧ページに戻る