ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

節分

寒い日が続きますと、なるべく外出を控えて、暖かい部屋でほっこりしていたい気分になってしまいます。
ただ、どれだけ寒くても、それでも早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)へ参拝にお越しになる方もいらっしゃいまして、そんな姿を拝見しますと、本当に頭が下がる思いになります。

 

 

さて、今月2月の行事ごとといえば「節分」ですね。
小さい頃は、家の窓を開け、寒い外に向かって「鬼は~外」と声を張り上げながら、意味もわからず豆まきをしていた記憶がありますが、何故この時期に「豆まき」をしているのか。
そもそも「節分」とはどういう意味なのかさえ、曖昧なまま、お恥ずかしながら年を重ねてきた気がしていましたので、改めて調べてみましたところ

 

 

節分とは、読んで字のごとく「季節を分ける」ことであり、「季節の変わり目」を意味しているそうです。
その季節の変わり目を言葉で表しますと「立春、立夏、立秋、立冬」の4つ。
それぞれの前日をすべて「節分」と言っていたそうですが、いつしか年初めに近い、立春(2月4日)が重要視されるようになり、「節分」イコール「立春」ということになったそうなんです。
また、なぜ節分のときに「豆まき」を行うようになったのかは、諸説あるようですが、
ひとつには、中国で、災難等を祓い清めるため、鬼を追い払う行事が昔から行われていて、いつしか日本にその文化・思想が伝わったこと。
さらに、「魔を滅する」などの語呂合わせもあって、鬼に「豆」を投げることで、厄などを払うという意味が込められているそうです。

 

 

その豆まきのかけ声は、皆さんもご承知のように「鬼は~外、福は~内」ですが、
そのかけ声そのものは、あきらかに自分にとって都合の悪いものを追い払い、都合の良いことだけを受け入れたいという姿に他なりませんし、よくよく考えてみますと、自分都合の善し悪しという分別は、何も豆まきに限ったお話だけではないのかもしれません。
もちろん、誰もが悪いことは出来る限り避けたいというのが、本音ですよね。
ただ、長い人生を歩んでいますと、どうしても自分にとって都合の良くない事実と出遇わなくてはならないときが必ずあるはずなんです。
例えば、病を患っても、取り除けているうちはいいんですが、その病を取り除けなくなってしまったら、取り除けないことに苦しみを感じてしまうのかもしれません。
実は、病を抱えることが不幸なことではなくて、健康な自分しか受け止められない、そういう自分の姿こそが問題なのではないでしょうか。
病を抱えてはじめて、健康であったことの本当の有り難さや、周囲の方の優しさに気づかされることもあるはずです。
そうしますと、悪(鬼)は絶対悪ではないのかもしれない。
むしろ自分にとって都合の悪い出来事が、私に大切なことを気づかせ、私そのものを育ててくれているといってもいい過ぎではないのかもしれません。

 

 

今月は、中旬に法話会が予定されています。
龍善寺の境内墓地の方をはじめ、早稲田納骨堂や早稲田永代供養墓の方々も多くご参加いただいています。
もしお時間あれば、法話会という仏縁を通して、私たちが言っている鬼も福も、実はどちらも大切なんだということを顕かしてくださる仏教の世界に触れてみてはいかがでしょうか。

 

南無阿弥陀仏

 

 

2:住職 小林太一

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