ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

生=死

今の時期は鼻がムズムズし鼻をかみ、目をゴシゴシかいてしまいます。
早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)へお参りに来られる方々の中にも、マスク姿の方が多くいらっしゃいますので、改めて、少し違った意味での春を実感していますが、よく考えてみれば、花粉がなければ、花は咲きません。
花粉があることは、辛いですが切り離すことができないのが、春なのかなーとしみじみ思っています。

 

切り離すことが出来ないといえば、最近感じたことがあります。
私事にはなりますが、昨年の12月に子供どもが生まれました。
出産に立ち会うことができたので、いのちの誕生の瞬間を見ることが出来ました。
妻のお腹から生まれた時、赤ちゃんは精一杯泣いていました。
勿論、赤ちゃんが泣くということは知っていたのですが、それを見た時には、嬉しさだけではない感情が沸き起こりました。

 

 

「もしかして、赤ちゃんは、自分が死んでいく身であることを知っていて、悲しんで泣いているのではないだろうか」

 

 

生まれること。死んでいくこと。
切っても切り離すことができません。
生まれた瞬間から、死に向かって歩き出しているのですから・・・
しかし、成長するにつれて、様々なことを経験し、様々な学びにより知識を身につけていきます。
成長していく中で、明日があるのが当たり前になっていってしまうのではないでしょうか。
成長すればするほど、「死」が身近な存在であることを忘れていってしまうのではないでしょうか。
ですが、「生死」があるからこそ「いのちを生きる」という歩みがあるのではないかと、私は今思っています。
私自身、「生」に問いをなげかけられている気がしました。

 

問いかけをくれた娘はもう少しで、生まれて半年たちます。
妻がハーフバースデー(6ヶ月)に写真を取りにいきたいといっていますが、よくよく考えてみると、私たちは大切な人の誕生日は、しっかり祝おうとしています。

「いのち」が生まれたこと、成長した事を祝うために、命の生まれた日(誕生日)を祝っています。誕生日は「生」を通して生きるということを教えてくれる日です。
しかし、他にも「いのち」の日はあります。
命日。亡くなった日です。
大切な方の、当たり前にいた身近な方の「死」を迎えた事実による悲しみ辛さ。
これは、「死」を通して生きるといことを教えてくれているのではないでしょうか。
勿論、生きている人を大切にすることは、大事なことだと思います。
しかし、そればかりに目が行って、「いのち」を繋いでくれた先達方をないがしろにはしていませんか。
「生」のみを考えて、「死」を遠ざけてはいないでしょうか。

 

浄土真宗開祖の親鸞聖人は、「生死いずべき道」として、亡くなっていく自分のいのちを生る中で、様々なまよいや苦悩を持ち、常に悩まされている自分がどのように生きていくかを問いにもって歩まれました。

 

 

楽しいこと、幸せなことから学ぶ「生きる」
悲しいこと、辛いことから学ぶ 「生きる」

 

 

双方共大切にして、一歩一歩 「いのち」を生きていきたいと思っています。

 

早稲田納骨堂は365日いつでもお参りできます。
命日には、故人の方と出遇って、「いのち」を見つめていただけたらと思います。
5月には、永代経もあります。是非ともお参りください。

 

南無阿弥陀仏

6:副住職 井上朋裕

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