ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

「み」胸キュン考  浄土真宗(真宗大谷派 本山京都東本願寺)龍善寺早稲田納骨堂発

ついこの間まで、「参拝時間は終わりました」という立て看板を、龍善寺(浄土真宗 真宗大谷派 本山京都東本願寺)早稲田納骨堂の入口の前に出す時、外は明るかったのですが今では真っ暗。11月も後半になると冬の風が吹き、落ち葉も「半端ない」様子です。朝早くから、龍善寺 早稲田納骨堂境内をお掃除してくださるご門徒さんのご苦労に頭が下がる思いです。

 

12月を迎える頃になると帰省休暇などが話題に上ります。私は帰省に車を使い、長距離運転をすることをそれほど苦にしません。荷物のパッキング、洋服の調整、公共交通機関のタイムテーブルを気にせず気ままに動けるので、むしろ車での移動を好みます。それに、車の中では大音量にしてお経を読む練習もできるので便利です。以前、車で通勤していた時は、朝の通勤時間がかっこうの練習時間でした。

 

長距離運転での一番の難関は、何と言っても眠気です。7時間から8時間も運転していると必ず眠くなる時間がやってきます。以前は、ドリンク剤を飲んだり、時には家族にほっぺをつねってもらったり、途中で仮眠をとったり、あの手この手といろんなことをしてきました。が、あまり効果はありませんでした。一人で運転することが多い今は、私が使う長距離運転中の眠気追放の手段は、若い頃に聞いていたあるグループや歌手のCDを聴くことです。

 

帰郷のために長距離運転をするようになってから、懐かしい曲のCDを何枚か買いました。そんな曲を数十年ぶりに聴いた時は、胸キュン・・・胸がキューンとなりました。その後もいくつかの歌を聴いていると、その歌の中に入り込むように胸キュンがおこり、思いっきり感情を込めてそれらの歌を歌うと自然に眠気がとれてくるのです。

 

ちなみに胸キュンは、今どきの若い方にとっては恋愛感情を表すのかもしれませんが、私の場合はそうとも限りません。たとえば、ある女性歌手の曲でスポーツをテーマに歌ったものがあります。その歌がラグビーの試合についての歌であり、歌の舞台となったのが私の母校の高校の試合だったことを、最近知りました。若い頃から聴いていたのですが、この曲を聴くと胸キュンキュンになります。もちろんこれはミュージシャンの才能でしょうが、私の「み」と呼応しているということではないのでしょうか。

 

「み」・・・私たちの教えの中によく「み」という言葉が出てきます。今は漢字の「身」が使われていますが、もともとは「み」は日本の古い時代から使われているやまと言葉で、漢字は「実」が充てられることもあると私の先生から教えていただきました。『基礎日本語辞典』で「み」を調べてみると「外観の「花」に対して実質は「実」である。「実」は「身」に通じ、“中身”つまり内容である」と説明されています。例えとして「味噌汁の実」「実のない話」などがあげられています。

 

浄土真宗 宗祖親鸞聖人は私たちのことを「どのような努力でも仏になれない『身』」、「この迷いの闇から出る手がかりのない『身』であると、知りなさい」などと表現されています。「身」は「私たち存在そのもの」のように受け止められるように思います。(現代語『歎異抄』朝日新聞出版社 参照)
さらに先生は、真宗門徒は教えを伝統的に「身の感覚」で聴いてきたのだとおっしゃいます。

 

龍善寺(浄土真宗 真宗大谷派)の事務所に真宗大谷派 本山東本願寺出版のカレンダーがあります。
そのなかに、

 

人のいうことを
ナルホドそうかと
うなずけたら
何か そこには
小さな花が咲くようである

 

というものがあります。「なるほど!」と「み」にストーンと落ちた時の気持ちを「小さな花が咲くようである」と表現されているのではないでしょうか。咲いた花は、やがて実となっていく。「身の感覚」・・・現代のように情報が溢れている時代に却って掴みにくいようなその感覚は一体どういうことなのか、その感覚をこの言葉が表しているように、私は受け止めました。

 

さて、私の眠気を取る曲を私は“み”で聞いている、これが最近の私の見解です。私が胸キュンする時、それは、様々な経験を含んだ遠い記憶が浸み込んだ私の「み」がそれらの曲となんらかの反応し、いつのまにか意識を覚醒させる。これが「身の感覚」と言えるかどうかはわかりませんが、近いものがあるように思います。なんせ、車の中でただ一人なので、時には涙を流し、時には頭いっぱいに広がる情景に彷徨い、ふと現実に戻ること、しばしば。そうしているうちに眠気が覚めてくるのです。好きな歌のどれでもというわけではありません。ある特定の胸キュン曲が次第に私を覚醒させてくれるのです。それでも眠気に負けそうな時は、思いっきり体を使ってこぶしを振り上げたり、振り付けをしながら大きな声で歌っています。眠気覚ましは主に高速道路での話ですが、私の前方を走る車のバックミラーに私が映り、「何?あの人?」と怪訝に思われているかもしれませんね。

 

「胸キュン音楽眠気覚醒説」の話を娘にすると「(いい歳をして)へぇ、まだ胸キュンなんかするんだ」と冷たく言われました。そうですよ!いくつになっても胸キュンするんですよ!生きてきた私の全て、「み」で、死の直前まで胸キュンしていたいと思っています。

 

「いい歳をして」と言う貴方も歳を重ね、「歳なんて関係がないんだから」と思う日がすぐに来るのです。そして、そういう貴方も・・・できることなら「いい歳」になっても胸キュンする貴方でいてほしいと、私は、願っているのです。小さな花を、いっぱい、いっぱい、咲かせてほしいのです。

 

寒くなり、外出するのも億劫になりがちです。ご無理のないように、龍善寺(浄土真宗 真宗大谷派 本山京都東本願寺)早稲田納骨堂へも足をお運びください。早稲田納骨堂に1歩入られると、お参りの皆さんに1年中荘厳(飾るの意味)されたお花たちの綺麗さに、寒さも一瞬忘れることもあるかもしれません。なにはともあれ、寒さはこれからが本番です。何かと忙しくなる年末に向け、体調にご配慮いただき過ごされますことを、龍善寺 早稲田納骨堂よりスタッフ一同念じております。

 

額田 薫(20181130)

副住職 額田薫

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