ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

お寺の掲示板

今月は早稲田墓陵(龍善寺境内墓地、早稲田納骨堂、早稲田永代供養墓)があります龍善寺の報恩講、並びにお寺の旅行会が行われどちらも沢山の方々に参加いただきました。
11/3報恩講の逮夜法要では、宗祖親鸞聖人の生涯を蝋燭の火の灯りで読み上げる「御伝鈔」の拝読もございました。また、11/12の日帰り旅行会では、総勢56名にて親鸞聖人が約20年間過ごされていた、茨城の笠間西念寺と大覚寺へ参拝し、宗祖の布教なさった足取りを辿ってまいりました。

 

当寺の合同法要や旅行会で仏教との出逢い、またそこからお友達になられる方も増えてきており、喜ばしい事と思っております。
このような行事のご参加や、身近な人の死を縁としてなど、仏教との出遇いは様々な形がございます。
都心ではお寺との縁が無い方も多くおられるとは思いますが、仏法に触れる機会としてお寺の法語掲示板がございます。お寺の門前に法語が書かれた看板が出ているのを見かけたことがあると思います。当寺も楼門の両脇に法語を掲げており、道行く人の目と心に留まるよう掲示しております。

 

さて、この掲示板が最近話題になっているようです。
公益社団法人仏教伝道協会において「お寺の掲示板大賞2018」という催し行われました。掲示板の法語を写真撮影し、ツイッターやインスタグラムにアップするとエントリーできるという今時な方法で申し込み、その中から大賞を決定します。各受賞作は12/5に仏教伝道協会ホームページ上で発表になるようです。

 

この企画の始まりは、ある方のツイッターからの発想でした。
岐阜県郡山市を旅行中に、真宗大谷派願蓮寺を参拝なさった方が、ツイッターに撮影した掲示板の法語をアップした所、たちまち話題となりました。
その法語は

 

「お前も死ぬぞ 釈尊」

 

という言葉でした。
強烈なインパクトを持った言葉なので、人々の心に刺さり4万回のリツイート、「いいね」も10万件を超えたそうです。この情報は新聞各紙でも取り上げられていましたので、ご覧になった方も多いかと思います。

 

私達は死と隣り合わせに生きており、死なない人はいない事を理解しています。
しかし、そこに「私が」という主語を付ける事に抵抗を覚える訳です。
いつまでも元気で居られると勘違いをしている私に、お釈迦様は、
「死は他人事ではない。あなたが限りあるいのちであることに目覚め、自分自身のいのちに向き合いなさい」
と投げかけた言葉だと思います。

 

生死(しょうじ)を問われ、混乱する自分に向き合う。
正解が一つではない問いを投げかけて、仏様は揺さぶりをかけてくるのです。

 

「気付けよ 目覚めよ わが身の程知れよ」と

 

日々勘違いをして、自分が正しいと思い上がっている私に、阿弥陀様の声が響いてきます。
自分の思い通りにならない事を、他人に責任転嫁するひどい私です。このような私であっても、今、阿弥陀様が救おうとしています。
そういう「救いようのない私」が救われて欲しいと阿弥陀様に願われている仏の世界が開かれています。
親鸞聖人が作成された「正信偈」に

 

不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)

 

と書かれています。
自分の思い通りにしたいという煩悩を捨てずして、救いが生ずるのが浄土真宗です。親鸞聖人は比叡山の修行では煩悩を滅する事が出来ない事に気付き、自力聖道門(難行道)から他力浄土門(易行道)に導かれました。お釈迦様は修行僧だけが救われるのではなく、一般の民衆が救われる事を願って、浄土教である阿弥陀仏の用(はたら)きを説法されています。

 

年末に近づき冷え込む日々の中、毎日寒いと文句を言ってしまう私達ですが、外出した際には、お寺の法語を気に留めてみてはいかがでしょうか。

 

南無阿弥陀仏

 

3:副住職 石井祐司

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