ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

浄土真宗と落語のつながり

以前、お笑いの本場ともいうべき大阪で初めて『吉本新喜劇』を観ましたが、

平日にも関わらず、満席になるほどの人気ぶりでした。

 

実際の公演も新喜劇だけでなく、漫才・コント・落語など、

観ている私たちを飽きさせない内容ばかりで、期待を裏切ることなく久々に笑わせてもらいましたが、

中でも特に「落語」がとても新鮮に思え、後日改めて調べてみたところ、

実は仏教と色々関わりがあることが判明して少し驚きました。

 

落語の始まりは室町時代末期から安土桃山時代の諸大名の聞き役、

世間の状況を伝える「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれる方がもとであり、

時代の流れと共にいつしか話に「オチ」を付けることで「落語」になったと言われています。

 

戦国時代には浄土宗の僧侶・安楽庵策伝という方のお話が当時の大名をはじめ、

多くの方々にとても喜ばれたそうです。

これは少し憶測かもしれませんが、わかりづらいと言われる仏教の教えを落語という手段に変えて、

親しみが持てるようにご苦労された足跡なのかもしれませんね。

 

さて、その落語の代表作と言えば、誰もが一度は耳にしたことがある『じゅげむ』ですが、

実は「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ….。」と始まるこの落語が浄土真宗の言葉と大きな

関わりを持っています。

『じゅげむ』のお話は長屋に住んでいた若夫婦に子供が生まれて、

子供の名前をあるお寺の住職にいただくことになったのですが、

せっかくだから子供が丈夫に育つ、有り難い名前が良いとリクエストしたところ、

次から次へと色々な言葉が繋がり、とても長い名前になってしまい、

その子の名を一度呼ぶだけでも大変になってしまうと言うお話です。

その「じゅげむ」を漢字に直すと「寿限無」。

 

そして、浄土真宗で大切にしている経典のひとつはお釈迦さまが説かれた『仏説無量寿経』。

実はこの経典の「無量寿」を逆さまにして、ゴロを良くしたのが、「寿限無」であり、

「無量」と「限無」は同意です。

 

本来、『無量寿』とは煩悩の海に漂っている私たちをどうにか救いたいという仏さまからの願いが、

私たちが生まれる前の過去から始まり、現在そして未来へと時間軸に際限なく、

「はかり知れないいのちのはたらきかけ」として私たちに向けられ続けていることを意味していますが、

落語ではどちらかと言えば「長生き」という意味として用いられたようです。

 

また、「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ….。」の「ごこう」を漢字に直すと「五劫」となり、

「劫」は時間をあらわします。阿弥陀仏が仏さまになる前の法蔵菩薩であった頃、

救われるはずのない私たちを何とか救う手立てを「五劫」の間、思案された時間を

意味しています。

ちなみに「一劫」の時間とは富士山よりも大きな岩のそばを、羽衣を身にまとった天女が

百年に一度通りかかり、羽衣の袖が岩に触れることで岩がすり減る。

 

これを何度も繰り返し、岩が摩滅するまでに要する時間を示しています。

なんとも気の遠くなる時間ですよね。

 

一劫だけでもとても長い時間なのにその五倍の「五劫」の時間をかけて、

私たちを救う手立てを思案してくださったわけですから、感謝せずにはおれないわけです。

また、私たちは何か面倒なことがありますと「おっくう」という言葉を使います。

その「おっくう」とは漢字で「憶劫」と書きます。

 

家から動くのも億劫だと思ってしまえば、五劫よりも長い時間になりますから、

生きている間に外の空気さえ吸うこともないままに人生を終えてしまうかもしれませんね。

 

お寺では落語ほどの面白いお話はできないかもしれませんが、

「お寺へ行くのも億劫だ」と言わず、ぜひ法話会等に足を運んでみてください。

 

合掌

 

納骨堂担当住職 小林

 

 

2:住職 小林太一

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