ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

白い道   浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂発

あけましておめでとうございます。平成が終わりを告げる2019年が始まりました。浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂には1月1日より多くの方々がお参りに来られました。お正月と言えば、神社に初詣というイメージが強いのですが、亡き人をご縁として仏さまの前で手を合わせたいと願う多くの方が龍善寺に足をお運びいただいていることに心が温まります。

 

お参りの方の中には龍善寺1階入り口から地下の早稲田納骨堂へ向かう階段や、エレベーターを降りると不思議な道が続いていることに気づかれた方もいらっしゃるかと思います。その道が奥の場所を貫き限りなく続くように見えるあの道は「白い道」と呼ばれるものをイメージしています(龍善寺の白い道は、白くなく木目調になっています)。浄土真宗 宗祖 親鸞聖人がその著『顕浄土真実教行証門類』(=『教行信証』)の中で多くを割かれ話されている物語があります。「二河白道」(にがびゃくどう)と言われている物語です。その「二河白道」をイメージしたものが早稲田納骨堂の入り口から正面に向かって続いています。その話は次のような内容です。

 

ある旅人が向かう先には西(=浄土を象徴)に向う極めて狭い白い道。その両側には火の河、北は水の河がある(水の河は欲望、火の河は怒り、憎しみと言われています)。戻れば盗賊悪獣が待ちかまえているし、南北へ行けば悪獣毒虫が待ち構えている。西に向うしかないこの旅人は言葉にならない恐怖におののきながらこう思った。「戻っても死ぬ。止まっても死ぬ。行っても死ぬ。どうしても死を免かれないのならこの道を進むしかない。」そう思ったとき突然背後から声が聞えた。「あなたはしっかりと心を決めてこの道を進みなさい。きっと死の難を免がれます。」と。同時に向う岸から喚び声があった。「疑いを捨てて迷うことなく、いま、すぐ、ここへ来なさい。私が必ず護ります。」と。その声を信じ、ついに河を渡り切って、出迎えてくれた西岸の人たちと手を取って喜び合った。(古田和弘師講話より一部抜粋)

 

浄土へ向かわんとする旅人を邪魔するもの、迷い。その旅人に安心してきなさいと呼びかける仏、まっすぐ進みなさいと背中を押す釈迦如来。

 

私達の人生は、常に決断の連続です。何かを決断し、志を立てる時、自分以外の世界からの誘惑、加えて自分の中から起こってくる迷い、他人と比べ、勝ち負けの思いに囚われたり・・・それらの煩悩に惑わされながらも一つを捨て一つを選び、一本の道を生きていかなければならないのが私達、人間なのだと私は受け止めています。生活のいろいろな場面に通るいくつもの白い道。そして、その白い道がやがては大きなうねりとなり、人生のなかに一本通る白い道となっていく。教えの中では、仏教に出会った私たちの存在を大海に浮かぶ船に譬えられます。そんな悠々とした心持で人生を終えることができるのでしょうか。

 

経典や教えの中には、興味深い物語やたとえ話、比喩的な話がたくさんあります。今年も楽しみながら、学ばせていただき、自己を照らす物語、言葉として受け止め、心の中にパァーッといくつもの花を咲かせることを願っています。

 

浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂へお越しの際は、荘厳(飾られた)花々を目にし、二河白道の物語を思いながら「白い道」を歩いてみてはいかがでしょう。人生にはいろいろなことがありますが、浄土へ向かう志をご門徒の皆様とともに、教えを聞き・確かめながら歩む1年であることを願っております。
1月12日には東京にも初雪が降りました 毎年、成人の日辺りは東京でも雪のニュースが流れます。そんな日は、どうぞ、お足元に気をつけ、浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂にお参りください。

 

2019年1月18日 額田 薫

副住職 額田薫

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