ブログ|早稲田墓陵

魂の故郷(いのちのふるさと)から一言

住職、副住職をはじめ龍善寺のスタッフが、日々の歩みの中で気づいたこと、
感じたことを綴ってまいります。一月1回の更新予定です。
これもご縁と、ちょっと息抜きにでも、お立ち寄りいただければ有難いことと思います。

向日性    浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂

1月も最後の日となりました。千両、万両、松といったお正月らしい花々は姿を消し、1月も後半になったことを実感します。それでも様々な花々はいつものように荘厳(飾るの意)され、魅了されます。そしてその花々に囲まれた仏さまがいつでもお参りの方々をお待ちしているような浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂の入口です。

 

 

龍善寺での学びの中に、ご本堂を華で飾る立花(花瓶に花を立てる)のお手伝いがあります。今は、新年の1カ月ということで若松を後に、前には菊の花を中心にお飾りしています。1月が終わる頃には、通年使用する桧葉(ひば)に戻ります。桧葉を立てる時、桧葉の裏か表かを区別するのが難しく、見極めがつかない私は何度かご指導をいただきました。ある日、坊守(住職の奥様)にコツのようなものを教えていただき、なるほどと思ったことがあります。よく見ると、小さな枝や葉が一定の方向を向いている面があるとおっしゃいました。枝や葉っぱは陽が当たる方向に向かおうとしているのではないでしょうか。その反対方向は確かに枝の密度が低いのです。そのうちに、桧葉の枝に小さなとげのようなものを見つけ、そのとげ達が葉や枝と同じように一定の方向を向いていることに気がつきました。こんな小さなとげも陽の方向を向かおうとしている・・・そのことを発見した時は、お日様に向かおうとする木々達の生命力のように感激したものでした。今では、すっかりそのとげ達が頼りです。

 

 

向日性・・・この言葉は小学校か、中学校の理科の時間に聞いたことがあります。植物は太陽の光に向かって伸びようとする。私の仏教の先生は、人間にも向日性があるのだとおっしゃいます。我々の心にある向日性、光に向かう気持ちとはどんなことなのでしょう。

 

 

昨年、沖縄を旅行した時、糸数(いとかず)というところにある「アブチラ・ガマ」を訪れました。「ガマ」をご存知の方はたくさんいらっしゃると思いますが、「ガマ」とは(以下(沖縄南城市「糸数アブチラガマ」リーフレットより)「沖縄にある自然の洞窟で、沖縄戦ではこの洞窟が住民の避難場所となり、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用されました」。沖縄にはいくつかのガマが残っていますが、このガマの見学は予約制で少人数のグループをガイドの方が説明をしながら案内してくださいます。その時は私と娘、二人だけを案内頂きました。ガイドさんと共に、我々も懐中電灯を持ってガマの中へ入っていきましたが、ガイドさんのお声掛けで全員が持っている懐中電灯を消し、漆黒の闇を体感し、戦争中にこのガマに潜んでいた方々へ思いを馳せました。そして印象的だったことは、戦争が終わってガマに入ってみると、漏れ出る光の方向に多くの方々が折り重なるようにして亡くなっていたという話でした。

 

 

私達、浄土真宗の教えの中にも阿弥陀仏が光の仏として謳われていたり、仏の智慧も光明と言われたりします。
私自身、光に向かう、向日性が我々にそなわった本来性であることを信じ、お念仏の生活を歩んでいきたいと思っています。

 

 

さて、春に向かって芽を吹く植物は光に向かって伸びようとしていきます。梅の花も寒い中ちらほら咲き始めています。一方では乾燥する日々が続き、インフルエンザも猛威を振っています。そんな中、浄土真宗(真宗大谷派 本山 京都 東本願寺)龍善寺 早稲田納骨堂には今、匂い桜が咲き、かぐわしい香を放ち、お参りの方が絶えません。今後とも、このご縁を大切にしていくお寺であり続けたいと思っております。

 

 

2019年1月31日(誕生日に) 額田 薫

副住職 額田薫

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